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この記事の要点
- 1991〜2024年の特許出願は110,175件。ピークは2005年の6,920件でした。
- 写真を土台とする橋で最も太いのは、写真用装置から診断・外科への568組です。
- フォトレジストでは全区間で最多。直近の区間は73件でした。
崖から落ちた2社
イーストマン・コダックが経営破綻したのは2012年1月です。写真フィルムという商売を作り、100年以上そこにいた会社でした。
理由は単純で、写真フィルムの市場が消えたからです。デジタルカメラとカメラ付き携帯が広まり、フィルムを買う人がいなくなりました。
富士フイルムも、同じ崖から落ちています。出願の数を数えると、それがはっきり出ます。
図1|富士フイルムの特許出願件数の移り変わり

2005年をピークに、出願は4分の1まで減りました。発明に使えるお金と人が、それだけ細ったということです。それでも会社は残りました。いまの事業のひとつが、半導体材料と表示材料を扱うエレクトロニクスです。2024年度の研究開発費は258億円でした。
ここまでは、よく語られる話です。この記事で見たいのはその先、写真の会社がなぜ半導体材料で戦えたのかです。いきなり飛んだわけではありませんでした。
審査官が残した技術の近さ
特許には、あまり知られていない便利な性質があります。
出願を審査するとき、特許庁の審査官は近い先行技術を調べて挙げます。これを引用といいます。どの技術とどの技術が近いかを、第三者が判定して記録に残してくれているわけです。
そこで、新しい分野の出願が自社の古い写真の出願を引いているかどうかを数えました。引いていれば、その2つは審査官から見て近い技術だったことになります。
図2|写真の技術から他の分野へ架かった橋

橋は、いくつも架かっていました。
写真を土台とする橋で最も太いのは、X線写真の技術から医療の画像診断へのものです。レントゲンは、もともとフィルムに焼くものでした。あの技術が、そのままデジタルの診断装置につながっています。
もう1本は、フィルムの下地から液晶の部品への橋です。写真フィルムの透明な下地はセルロースでできています。同じ素材の技術が、液晶パネルの偏光板を守るフィルムになりました。
印刷の版と半導体のレジストも、光を当てて溶ける場所と残る場所を分ける、という点では同じ技術です。特許の分類でも、この2つは同じ群に入ります。
引用の網が描くのは、用途ではなく仕組みで技術がつながっている姿です。写真の会社が半導体材料をやっていると聞くと突飛ですが、数字のほうは地続きだと言っています。
40年つづく引用
この橋には、もうひとつ目を引くところがあります。
X線写真から医療診断へ架かった橋で、引いている側のいちばん古い出願は1984年、いちばん新しい出願は2023年です。1984年の1件は、レントゲン画像の濃淡を見やすく調整する方法でした。
40年にわたって、医療の側の出願が写真の技術を引き続けています。出願11万件の会社の、土台の厚さがここに出ています。
写真と次の分野が重なる期間
技術が地続きなら、運んだ人も地続きのはずです。そこで、発明者の動きを追いました。
写真の分野で出願していた人のうち、その後べつの分野でも出願するようになったのは72人でした。写真の装置から医療の診断装置へ、印刷の製版から半導体へ、という動き方をしています。
図3|写真の技術者が次に出願した分野と、その期間

1人につき帯が2本あります。薄いほうが写真をやっていた期間、濃いほうが次の分野をやっていた期間です。
2本の帯は前後に並ばず、長く重なっていました。重なった年数を写真での出願期間で割ると、中央値は6割。この割合が半分を超える人が、72人のうち44人います。
写真での出願が続いているあいだに、次の分野の出願も始まっている人が多い、ということです。写真の市場が縮んだ時期には、移動先での出願歴が何年かぶん積み上がっていました。
フォトレジストでの立ち位置
半導体材料は、いまの富士フイルムが研究開発費を割いている分野です。出願も増やしたのだろうと思って数えたら、件数はむしろ減っていました。
会社全体の出願が4分の1に減るあいだ、レジストが入る分野が全体に占める割合はほとんど動いていません。ほかの多くの分野が削られるなかで、ここは守られました。
図4|フォトレジストの出願件数、富士フイルムと競合4社

この数え方では、富士フイルムが1991年から直近まで全区間で最多です。直近の区間は各社とも件数を大きく減らしています。それでも先頭は富士フイルムのままでした。
一方、富士フイルムが2003年以降ずっと減らし続けた分野もあります。液晶の偏光板がそれで、そこでは日東電工が出願を自社の過去最高まで増やしています。














