特許庁の全出願データから、企業がどこに発明を寄せてきたかを読む

第3回 / 富士フイルム

フィルム事業から半導体材料の覇者へ。富士フイルムの転身を支えた「3つの技術抽象化」

写真フィルムの需要は2000年をピークに、10年でピーク時の10分の1以下になりました。同じ市場にいたイーストマン・コダックは2012年に破産手続きへ入っています。富士フイルムの特許出願11万175件を数え直すと、写真感光材料は分類の構成比で15.7%から0.1%へ消え、診断・外科が0.8%から9.6%へ入れ替わっていました。半導体レジストの分野だけは、全社の出願が4分の1になるあいだも構成比が動いていません。自分の経験が別の業界で通るかを考えている人に、会社が実際にどう乗り換えたかの実例として読めるはずです。

イーストマン・コダックが連邦破産法11条の適用を申請したのは2012年1月でした。写真フィルムを事業として立ち上げ、100年以上そこにいた会社です。

写真フィルムの需要は2000年がピークでした。そこから市場は年率20〜30%で縮み、2010年にはピーク時の10分の1以下になっています。これは富士フイルム自身が沿革に書いている数字です。本業が消えるとはこういうことで、コダックはそれで破産手続きに入りました。

富士フイルムは残りました。2026年3月期の売上高は3兆3,570億円です。利益率がいちばん高い事業は半導体材料と表示材料を扱うエレクトロニクスで、22.1%あります。写真フィルムではありません。

同社はこの転身を「技術の抽象化」と説明しています。自社の強みを「フィルムを作る技術」という用途で捉えるのをやめ、「光に応答する化学反応」「粒子を超精密に分散させる」といった機能まで分解して捉え直した、という説明です。

この記事では、その説明が特許のデータでどこまで裏付けられるかを見ます。特許庁が公開している出願データから、富士フイルムと旧富士写真フイルムの名義で出された出願を集めました。1991年から2024年までで11万175件あります。

出願は6,920件から1,600件へ減った

図1|特許出願件数の推移(1991–2024年)
図1|特許出願件数の推移(1991–2024年)富士フイルムとグループ会社(富士フイルムビジネスイノベーションを除く)の特許出願を、出願年で数えた。2005年の6,920件がピークで、2009年に3,139件と半分以下になり、2018–2022年は平均1,657件(ピーク比24%)で推移している。右端の網かけは、出願から公開までの最長18か月ぶんがまだ収録されていない区間。SVG元データ(CSV)

年間の出願件数は2005年の6,920件がピークです。2009年に3,139件と半分以下になり、そこからも減り続けて、2018年から2022年の平均は1,657件でした。ピーク比24%です。

減り方の急なところが2つあります。2005年から2009年にかけての4年間と、2010年から2013年にかけての3年間です。前者は写真フィルム市場が10分の1へ向かっていた時期、後者はその後始末の時期にあたります。

同じことは他社にも起きています。写真感光材料の分類が付いた出願を、フィルムを本業にしていた4社で並べました。

図2|写真感光材料の出願は、各社どう消えたか
図2|写真感光材料の出願は、各社どう消えたか国際分類G03C(写真感光材料)が付いた出願を会社別に数えた。青が富士フイルム、灰色がフィルムの競合。富士フイルムは1991年の1,171件から、2015–2024年の10年間で合計17件になった。コニカミノルタは1998年の845件から同10年で2件、コダックの日本出願は1993年の233件から消滅している。コダックの線は日本への出願だけで、本国の出願規模は表さない。SVG元データ(CSV)

富士フイルムは1991年に1,171件出していましたが、2015年から2024年までの10年間では合計17件しかありません。コニカミノルタは1998年の845件から同じ10年で2件、コダックの日本への出願は1993年の233件から消えました。三菱製紙も134件から22件です。

崖の形はどの会社もほぼ同じで、2002年から2008年のあいだに落ちきっています。違いは、落ちたあとに何が残ったかのほうにありました。

消えた分野と、入れ替わった分野

図3|主戦場の入れ替わり(分野構成比の推移)
図3|主戦場の入れ替わり(分野構成比の推移)各年の出願に付いた国際分類を数え、その年の分類延べ数に占める割合で並べた。写真感光材料(G03C)は1992年の16.6%から0.1%へ、診断・外科(A61B)は1%未満から2021年の11.9%へ動いている。★2022年以降は分類の付与が追いついておらず(1出願あたりの分類数が1.9個から1.1個前後へ低下)、分母が縮むぶん構成比が高く出る。この区間の割合は読まないこと。1出願に複数の分類が付くので、線の合計は100%にならない。SVG元データ(CSV)

各年の出願に付いた分類を数えて、構成比で並べたものです。件数ではなくシェアで見ているのは、直近の年は公開が済んでいない出願があって件数が足りず、分野の変化と区別できないためです。

ただし、シェアで見れば安全というわけでもありません。この会社のデータでは、2022年以降は分類そのものが付き終わっていません。1件の出願に付く分類の数が、2021年の1.9個から2022年以降は1.1個前後に落ちています。分母が半分になるので、構成比だけが跳ね上がります。以下の数字は、分類が付き終わっている2021年までで区切りました。

写真感光材料(G03C)は1992年に16.6%を占めていました。2000年代に入って落ち、2011年以降は0.1%です。同社の全出願のなかで、この分類はほぼ消えています。

代わりに立ち上がったのが診断・外科(A61B)です。1991年から1995年で0.8%だったものが、2016年から2021年では9.6%になりました。内視鏡やX線画像診断の装置がここに入ります。

区間ごとの合計を、その区間の分類延べ数で割ると、こうなります。

分野1991–952001–052011–152016–21
写真感光材料 G03C15.7%3.7%0.1%0.1%
診断・外科 A61B0.8%1.5%8.4%9.6%
光学要素・レンズ G02B2.6%6.2%11.2%11.0%
フォトリソ・写真製版 G03F3.8%5.7%4.2%4.6%
半導体装置 H01L1.6%4.2%7.4%4.2%

4行目のフォトリソグラフィ・写真製版(G03F)は、30年のあいだ3.8%から5.7%のあいだで動いています。半導体レジストが入る分類です。全社の出願が4分の1になるあいだ、この分野の取り分は変わっていません。増やしたのではなく、絞らなかった分野ということになります。

同じ半導体でも、半導体装置そのもの(H01L)は違います。2011年から2015年の7.4%から、直近は4.2%へ落ちています。こちらは取り分ごと絞られています。

売上と利益は、どの事業から出ているか

図4|事業セグメント別の売上と営業利益(2026年3月期)
図4|事業セグメント別の売上と営業利益(2026年3月期)富士フイルムホールディングスの決算短信(米国基準)のセグメント情報から、売上高と営業利益を並べた。エレクトロニクスは売上では全体の14%だが、営業利益率は22.1%で、額でも全体の26%を占める。灰色のビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)は、この記事の特許の集計には含めていない事業。財務は連結、特許は検索式の範囲なので、母集団が一致していない。SVG元データ(CSV)

2026年3月期のセグメント別の数字です。売上は、ビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)1兆1,748億円、ヘルスケア1兆989億円、イメージング6,271億円、エレクトロニクス4,562億円の順。エレクトロニクスは全体の14%しかありません。

営業利益で見ると順番が変わります。エレクトロニクスの営業利益は1,009億円、利益率22.1%です。4つのセグメントの営業利益の合計3,882億円に対して26%にあたります(全社費用を差し引く前の数字です)。売上の14%の事業が、利益の4分の1を出している計算になります。この事業の中身は半導体材料と表示材料で、半導体材料だけで2,946億円(前年比17.6%増)です。決算短信には、銅配線用のCMPスラリーが世界トップシェアだと書かれています。

イメージングの利益率25.5%はさらに高いのですが、こちらはinstaxとデジタルカメラが中心で、かつての写真フィルム事業とは商品が違います。

なお、この図の財務は連結で、ビジネスイノベーションを含みます。特許のほうは検索式でその事業を外しているので、両者の母集団は一致していません。比率を作るときはそこを踏まえる必要があります。

出願の増減が業績の増減より先に動くかも調べました。結果を先に書くと、このデータでは何も言えません。

図5|出願の増減は、売上の増減に先行するか
図5|出願の増減は、売上の増減に先行するか出願件数の前年比と、連結売上の前年比の相関を、ずらす年数を0年から7年まで変えて計算した。3年ずらしたときの+0.49が最大だが、8通りのうちの最大であり、点の数は最大17しかない。1年ずらしが−0.22、4年ずらしが−0.11と符号が飛んでいて、一定の関係があるときの形になっていない。水準どうしの相関はこの会社では−0.26〜−0.63で、出願が減るあいだに売上が伸びている。長期のトレンドを拾うだけなので使っていない。SVG元データ(CSV)

出願件数の前年比と、連結売上の前年比の相関を、ずらす年数を0年から7年まで変えて計算したものです。3年ずらしたときの+0.49が最大でした。

ただし、8通り試して最大のものを採っています。点の数は17しかなく、単発の検定でもぎりぎりの値です。8通りの最大となると、偶然でこの程度は出ます。棒の並びを見ると、1年ずらしは−0.22、4年ずらしは−0.11と符号が飛んでいて、これは一定の関係があるときの形ではありません。財務は連結、特許はビジネスイノベーションを除いた範囲で、母集団も揃っていません。

向きも間隔も、この会社のこのデータでは定まらない、というのが結論です。第1回の日東電工では、ディスプレイ材料の出願のピークから10年後に利益のピークが来たと書きました。あれは特定の事業の出願と、その事業の利益を並べたものです。全社の件数と連結売上という粗い単位では、同じことは見えません。

新しい分野の出願は、自社の古い出願を引いていた

分野の構成比が入れ替わったことは分かりました。ただ、それだけでは「古い事業をたたんで、別の事業を新しく始めた」のと区別がつきません。技術が引き継がれたのかどうかは、構成比には出てきません。

引用の関係を見ると、そこが分かります。特許の審査では、審査官がその出願に近い先行文献を挙げます。新しい分野の出願が、自社の古い分野の出願を引いているなら、両者は審査官から見て近い技術だったということです。

図6|自社引用の橋 ― 旧分野の資産はどこへ繋がったか
図6|自社引用の橋 ― 旧分野の資産はどこへ繋がったか新しい分野の出願が、自社の古い分野の出願を審査官引用で引いた組を数えた。分類のセクション(先頭1文字)が違う組だけを橋として扱い、引用する側が旧分野の分類をまだ持っている場合は除いている。青が写真(G03B/G03C/G03D)を土台とする橋。審査官が付けた引用だけで、出願人自身が挙げた引用は収録されていない。SVG元データ(CSV)

分類のセクション(先頭1文字)が違う組だけを橋として数え、引用する側が古い分野の分類をまだ持っている場合は除いてあります。同じ出願のなかで技術が同居しているだけのものを、橋と数えないためです。

写真を土台とする橋でいちばん太いのは、写真用装置(G03B42)から診断・外科(A61B6)への565組でした。G03B42は放射線画像を記録して読み取る技術の分類です。引かれている側でいちばん古いものは1984年の「サブトラクシヨン画像の階調処理最適化方法および装置」で、引用する側は2023年の出願まで続いています。

X線の像をフィルムに焼いていた技術が、デジタルのX線画像診断へ繋がっている、という筋がここに残っています。

写真起点ではない橋も見ておきます。図の上位6本のうち、性質の違うものを3つ挙げます(2位・3位・4位はどれも同じ「フィルムベースの素材から偏光板へ」の話なので、代表して1本だけ載せました)。

引く側(新)引かれる側(旧)組数引かれている側の例
フォトリソ・写真製版 G03F7半導体装置 H01L211,0241973年の感光性組成物の合成方法
光学要素・レンズ G02B5セルロース系組成物 C08L19131995年「偏光膜保護フイルム」
フォトリソ・写真製版 G03F7印刷版・印刷用材料 B41N17081974年の平版印刷版の製造方法

2番目のC08L1はセルロース系の高分子組成物で、写真フィルムのベースに使われていた素材です。そこから液晶用の偏光板保護フィルムへ橋が架かっています。液晶パネルに使う光学フィルムの出願が、フィルムベースの出願を引いている形です。

3番目は、印刷版とレジストが同じ感光化学の幹から出ていることを示しています。平版印刷版も半導体レジストも、光を当てて溶ける所と残る所を分ける材料で、分類上は同じG03F7に入ります。

1番目は、この記事の筋と向きが逆に見えます。引かれている側が半導体装置(H01L21)で、引いている側がフォトリソ(G03F7)だからです。引かれているのは1973年の感光性組成物の合成方法で、材料の出願に半導体装置の分類が付いています。分類の付き方がそうなっている理由はデータからは分かりません。この1本については「新しい分野が古い分野を引いた」という読み方ができないので、そのつもりで見る必要があります。

同じ人が、別の分野で出願している

技術だけでなく、人も動いています。写真系の分類で出願していた発明者が、そのあとどこで出願しているかを追いました。

図7|写真の技術者はどこへ行ったか
図7|写真の技術者はどこへ行ったか写真系(G03B/C/D/F)で出願していた発明者のうち、その後べつの分野でも出願するようになった72人から、移動先の件数が多い12人を並べた。薄い帯が写真での出願期間、濃い帯が移動先での出願期間。多くの人で2本の帯が重なっており、元の分野をやめて移ったわけではない(重なりの中央値は6割)。同一社内・キャリア5年以上・両分野で3件以上・元分野の初出から3年以上あとという条件で数え、移動先の件数は元分野と別の出願だけを数えている。氏名は伏せた(特許公報では公開されている)。SVG元データ(CSV)

写真系(G03B/C/D/F)で出願していた発明者のうち、その後べつの分野でも出願するようになった人を数えると72人いました。同じ社内で、キャリア5年以上、両方の分野で3件以上出願している人に限った数です。移動先の件数は、元の分野と別の出願だけを数えています。1件の出願に両方の分類が付いているものを「移った」と数えてしまう誤りを避けるためです。

行き先を1人1つに絞って数えると、印刷・複写が12人、プリンタが10人、印刷版が5人で、印刷系が合わせて27人。診断・外科が12人、半導体装置が9人、画像通信が6人でした。写真装置で356件を出したあとに診断・外科で746件を出した人、フォトリソグラフィで373件を出したあとに半導体装置で282件を出した人がいます。

ここで一つ、想定と違ったことがあります。移ったあとも、元の分野の出願をやめていません。帯の重なりを計算すると、元の分野で出願していた期間のうち移動先と重なっている割合は、中央値で6割でした。72人のうち44人(61%)が5割を超えています。図の3人目は、写真製版で1982年から2009年まで、半導体装置で1985年から2016年まで出していて、25年ぶん重なっています。

きれいに乗り換えたのではなく、両方を抱えたまま比重を移していった、というのがこのデータの形です。

なお、氏名は伏せています。特許公報には発明者名が載っているので調べれば分かる情報ですが、この記事の主張は「そういう移り方をした人が72人いる」というパターンの話で、個人名は主張に必要ないためです。

フィルムから何を取り出したのか

抽象化という言葉だけでは、何をしたのかが分かりません。同社が挙げている3つを、具体的に見ます。

先に断っておきます。以下の3つは、古い技術と新しい技術で「必要になる能力が同じ形をしている」ことを示すものです。古いほうから新しいほうが生まれた、という因果を書いた公開資料は見つかりませんでした。似ているという以上のことは、ここでは言えません。

粒をくっつかせずに散らしたまま保つ

写真フィルムの感光層には、ハロゲン化銀の粒が入っています。この粒が光を受けて像のもとになります。粒どうしがくっついて大きな塊になると、そろっていた粒径が崩れ、感度が変わります。粒の表面をゼラチンが覆うことで、液の中でばらけたまま保たれています。粒径のそろい方は同社の出願でも指標になっていて、1995年の出願には変動係数(粒径のばらつきを平均で割った値。小さいほどそろっている)18%以下という書き方が出てきます。

用途から切り離すと「ナノ粒子の表面を覆って、凝集させずに散らしたまま保つ」という機能になります。

図8|ナノの粒を、くっつかせずに散らしたまま保つ
図8|ナノの粒を、くっつかせずに散らしたまま保つ写真フィルムの乳剤と半導体用CMPスラリーを、同じ描き方で並べた模式図。どちらもナノサイズの粒の表面を何か(ゼラチン/分散剤)で覆い、粒どうしをくっつかせないことで成り立っている。覆いが足りずに粒がかたまると、写真では粒径がそろわなくなり、研磨では基板の傷になる。粒の大きさや間隔の比は実物のとおりではない。SVG

同じ機能で成り立っているのがCMPスラリーです。半導体をつくる途中で基板の表面を平らに磨く工程があり、そこで使う研磨液です。シリカなどの砥粒が液の中に散っていて、大きさは10〜80nm程度。砥粒がくっついて塊になると、その塊が基板をひっかいて傷になります。分散剤が砥粒の表面を覆って、それを防いでいます。

粒を分散させる技術そのものは、塗料でも触媒でも電池材料でも使われています。富士フイルムだけのものではありません。この会社の場合、それを何十年も写真乳剤で作り込んだ蓄積があった、という話です。

決まった波長の光で、精密な化学変化を起こす

カラー写真フィルムは、青・緑・赤に応答する層を重ねてあります。ここで効いているのは増感色素です。ハロゲン化銀はもともと紫外から青の光にしか感じません。粒の表面に色素を吸着させて、はじめて緑や赤の光を受け取れるようになります。

受け取った光がすぐ画像になるわけではありません。光が当たった粒には銀原子が十数個から百個ほど集まるだけで、目には見えません。これを潜像と呼びます。現像で増幅して、はじめて色素の像になります。光は引き金で、像は後から増幅して作られています。

機能として書き直すと「決まった波長の光で引き金をつくり、現像で増幅して形にする分子設計」になります。

図9|決まった波長の光で、精密な化学変化を起こす
図9|決まった波長の光で、精密な化学変化を起こすカラー写真フィルムとEUVレジスト(化学増幅型)の模式図。ハロゲン化銀はもともと紫外から青の光にしか感じず、粒の表面に増感色素をつけてはじめて緑や赤に応答する。どちらも「決まった波長の光が引き金を作り、そのわずかな引き金を現像で増幅して形にする」という同じ順序で動く。層の厚みや分子の形は実物のとおりではない。SVG

EUVレジストも同じ順序で動きます。波長13.5nmのEUVが当たると、光酸発生剤という分子が酸を1個つくります。そのあと加熱すると、その酸が触媒になって連鎖的に反応が進み、現像液に溶ける所と残る所が分かれます。これが回路のパターンになります。化学増幅型と呼ばれるのはこの仕組みです。

どちらも、光そのもので形を作ってはいません。光は引き金を1個つくるだけで、形にするのは後段の増幅です。

極微量の不純物を、測れる限界で見つけて落とす

写真用のゼラチンは天然物です。産地やロットで微量成分の量が変わります。厄介なのは、ふつうの分析では差が出ないのに写真の性能は変わるという点で、同社の特許にもそう書かれています。チオ硫酸塩や亜硫酸塩といった、写真に効いてしまう成分を落とした「不活性ゼラチン」という言い方が出てきます。落とし損ねると、感度がロットごとにばらついたり、光が当たっていない場所まで黒くなったり(カブリ)します。

機能として書き直すと「測れる限界まで、極微量の不純物を見つけて落としきる」になります。

図10|極微量の不純物を、測れる限界で見つけて落とす
図10|極微量の不純物を、測れる限界で見つけて落とす写真用ゼラチンの精製と半導体用の超高純度ケミカルを、同じ流れで並べた模式図。原料から極微量の不純物を落とし、測れる限界で確かめ、落とし損ねると製品の欠陥として出る。点の数は実際の不純物量を表さない。「一桁ppt」は半導体用薬液側の管理水準。SVG

半導体用の薬液が求めているのも同じことです。洗浄液や溶剤に金属や微粒子が残ると、加工異常や回路のショートが起きて、良品のとれる割合(歩留まり)が落ちます。同社グループの技術資料には、線幅10nmを切る世代では一桁ppt(1兆分の1の桁)の管理を見据えると書かれていて、ICP-MS(誘導結合プラズマ質量分析。極微量の金属元素を測る装置)でアルミニウム、カルシウム、鉄、銅、ナトリウムといった元素を測っています。

一兆分の一の桁を相手にするという点では、ゼラチンの精製と同じ土俵です。

出願の数で見ると、半導体材料は「増えて」いない

3つのメカニズムを、出願の数で見るとどうなるか。

図11|3つのメカニズムを出願の数で見ると
図11|3つのメカニズムを出願の数で見ると3つのメカニズムについて、旧分野と新分野に対応する国際分類で出願を数え、5年区間ごとに各系列のピークを100として並べた。系列どうしの規模は比較できない(実件数は図中とCSVに記載)。メカニズム3の旧側にあたるゼラチン(C09H)は全期間で4件しかなく、線にならなかった。最終区間(2021–24年)は4年ぶんしかないうえ、公開が済んでいない出願と、2022年以降の分類の付与の遅れ(図3参照)が重なるため、実勢よりかなり少なく出る。CMP研磨材が2011–15年に3件へ落ちるのは、出願先の移管などの可能性があり、事業の中断とは限らない。SVG元データ(CSV)

旧分野と新分野に対応する分類で数え、5年区間ごとに各系列のピークを100として並べたものです。

先に、この図で言えないことを書いておきます。3つのうち、旧側と新側の両方が線になったのは1と2だけです。3の旧側にあたるゼラチン(C09H)は全期間で4件しかなく、描けませんでした。CMP研磨材は2006〜10年の177件のあと、2011〜15年に3件まで落ちています。出願先が別の名義へ移った可能性などがあり、事業をやめたのかどうかはこのデータでは分かりません。出願の数で追えているのは、実質レジストの1本です。

そのレジストが、こういう形をしています。半導体レジスト(G03F7とH01Lの両方が付いた出願)は1991〜95年の241件から2001〜05年の832件まで増え、そこから減って直近は73件です。旧側の写真感光材料(G03C)が4,822件から1件へ消えていくのと入れ替わる形にはなっていますが、新側も2000年代半ばをピークに減っています。

「写真をたたんで半導体を増やした」という形にはなっていません。全社の出願が4分の1になったなかで、新分野も同じように減っています。

減ったことの意味は、他社と並べると変わります。

図12|移った先で、誰と戦っているか(フォトレジスト)
図12|移った先で、誰と戦っているか(フォトレジスト)国際分類G03F7(フォトリソグラフィ・写真製版)が付いた出願を5年区間で数えた。左は半導体装置(H01L)の分類も併せ持つ出願だけ、右は平版印刷版(写真製版)を含むG03F7全体。青が富士フイルム、灰色が競合。分野の定義は国際分類によるもので、各社の事業区分とは一致しない。最終区間は4年ぶんで、かつ公開が済んでいない出願があるため少なく出る。SVG元データ(CSV)

左が、半導体装置の分類も併せ持つレジストの出願です。この定義で数えるかぎり、富士フイルムは1991年から直近まで、すべての5年区間で他社より多く出しています。直近区間でも73件で、信越化学工業の50件、東京応化工業の17件、JSRの12件を上回っています。

減っているのは同社だけではありません。2006〜10年から直近区間までの落ち方は、住友化学が166件から4件、JSRが423件から12件、東京応化工業が490件から17件。富士フイルムは800件から73件で、落ち幅では信越化学工業に次いで穏やかです。この土俵から先に引いたのは、むしろ他社のほうでした。

右は、平版印刷版を含むG03F7の全体です。こちらでは順位が変わり、直近区間は住友化学776件、信越化学工業395件、富士フイルム362件の順になります。印刷版の出願が減ったぶんが効いています。

先ほどの表に戻ると、G03Fの構成比は30年のあいだ3.8%から5.7%のところで動いていました。全社の出願を4分の1に絞るなかで、この分野の取り分だけは変えていません。数が減ったのは、この分野を絞ったからではなく、全体を絞ったからです。

件数は投資額ではありません。売上4,562億円で営業利益率22.1%、銅配線用CMPスラリーで世界トップシェアという数字のほうが、この事業がいまどういう位置にあるかを直接に表しています。

用途で書くか、機能で書くか

ここまでは会社の話ですが、同じ書き直しは個人の職務経歴にも当てはまります。

経歴を「自動車部品の設計」「液晶パネルの生産技術」と用途で書くと、その用途を持つ会社にしか届きません。機能で書き直すと、届く範囲が変わります。

用途で書くと機能で書き直すと届く範囲
自動車エンジンの構造設計高熱・高振動の環境で壊れない構造の解析と設計ロボット、航空宇宙、半導体製造装置
フィルム塗布プロセスの改善異なる素材の界面で膜を密着させ、厚みを制御する二次電池、電子材料
写真乳剤の粒径制御ナノ粒子の表面を覆って凝集を防ぐ研磨材、塗料、電池材料

富士フイルムがやったのも同じ形です。「フィルムを作る」を「粒をばらけさせる」「光で化学変化を起こす」「不純物を追い込む」に分解し、その機能を必要としている別の市場へ持っていきました。

ただし、会社の場合は分解した機能をどこへ持ち込むかを、市場の大きさと自社の位置を調べたうえで決めています。個人の場合、その調査にあたるものが自分では手に入りにくい。長く同じ現場にいると、自分の何が外から見て機能として通用するのかは、かえって見えなくなります。

おわりに

写真感光材料は構成比15.7%から0.1%へ消え、診断・外科は0.8%から9.6%へ入れ替わりました。ただしこれは、古い事業をたたんで別の事業を新しく始めた、という話ではありません。放射線画像を記録する技術の出願がX線診断の出願に引かれています。フィルムベースに使っていたセルロース系の素材は、偏光板保護フィルムの出願に引かれています。写真の技術者72人が、印刷や医療や半導体で出願を続けています。しかも多くは、写真の出願をやめずに並行して続けていました。

半導体材料については、出願の数が増えたわけではありませんでした。全社が4分の1に絞られるなかで、この分野の取り分だけが変わらなかった、というのが実際の姿です。

日本の特許はJ-PlatPat(特許庁の無料検索)で誰でも調べられます。気になる会社の名前で検索して、古い出願から順に分類を眺めると、その会社がどこから来て、いまどこにいるのかが見えてきます。自分の経歴を機能で書き直すときにも、同じ見方が使えます。

出所とデータの作り方

  • 特許の集計|特許庁「特許情報標準データ」「整理標準化データ」を全件集計。出願人名が「富士フイルム」または「富士写真フイルム」を含む出願から、富士フイルムビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)を除いたものを対象にしました。旧社名・グループ会社を含む47名義、1991〜2024年で11万175件です。日付はすべて出願日です。
  • 技術分野の区分|国際分類(IPC)のサブクラス(4桁)とメイングループを使っています。60年スパンの比較に耐えるのはこの粒度までです。分野の名称はこちらで付けたもので、各社の事業区分とは一致しません。
  • 業績|富士フイルムホールディングス「2026年3月期 決算短信〔米国基準〕」(2026年5月12日公表)のセグメント情報、および同社の決算説明会資料。半導体材料の売上は決算説明会資料によります。EDINETで公開されている有価証券報告書も併用しました。
  • 写真フィルム市場の推移|富士フイルムホールディングス「90周年特設ページ(歴史)」および同社採用サイトの沿革によります。写真フィルムの需要は2000年をピークに、2010年にはピーク時の10分の1以下、市場は年率20〜30%で縮小したと記載されています。
  • 引用関係|特許庁データに収録されている審査官引用です。出願人が自ら挙げた引用は収録されていません。引用先が自社かどうかは公開特許(JPA)でのみ接続でき、公告・実用新案・外国文献には繋がりません。引用種別のコードは1996年以降に段階的に導入されたため、古い引用ほど少なく出ます。
  • 発明者の移動|同一社内で、キャリア5年以上、元分野3件以上、移動先3件以上、元分野の初出から3年以上あとに移った発明者を数えました。移動先の件数は元分野と別の出願だけを数えています(1つの出願に両方の分類が付いているものを「移動」と数える誤りを避けるため)。氏名は伏せています。特許公報では公開されている情報です。
  • 技術のしくみの図(図8〜10)|模式図です。日本写真学会誌、放送大学の講義資料、米国特許4990440号、富士フイルム和光純薬の技術資料、CMPスラリーの分析に関する解説記事などを出所としています。粒の大きさ・層の厚み・分子の形は実物のとおりではありません。
  • 直近の数年は出願が出そろっていません。特許は出願から原則1年6か月後に公開されるため、2023年以降の件数は実際より少なく出ます。
  • 「富士フイルム」「instax」は富士フイルム株式会社の商標です。この記事は公開データにもとづく独自の集計で、同社との提携・公認関係はありません。
  • 図によって母集団の数(n)が違います。図1は1991〜2024年の出願11万175件、図3はそのうち分類が付いている10万7,948件です。図6だけは期間を切らない全期間(1964〜2025年)の14万4,538件で、これは1970〜80年代の古い出願が引かれる側に出てくるためです。図11は図1と同じ1991〜2024年の11万175件を母集団とし、そのうち各分類が付いた出願を数えています。
  • 集計に使ったデータは、各図の下にあるCSVから再現できます。